三、うまれたとき

 

 

 ひどく、静かだった。

 さざ波のような眠気に囚われて頭がうまく働かない。目は覚めているはずだった。きちんと意識がある。夢などではない。だが目を開けられないのは何故だ。

 

 おーーーーーーーーーーーーーーーん

 

 何の声だ。獣の類か。

 

 オーーーーーーーーーーーーーーーン

 

 手足の感覚もある。心臓が躍動しているのが分かる。両手を握ったり開いたりしてみる。大事ない。支障なく動く。動かないのは瞼だけだ。

 

 怨ーーーーーーーーーーーーーーーン

 

 さっきから何だ。うるさい。

 ……ああ、瞼が軽くなってきた。これなら目を開けることができる。

 

 

 目を開いてみると。台の上に横になっていて、足元には黒装束の人間たちが五人ほど胡坐をかいていた。彼は上半身だけを起こしてそれらを見た。

 見ると、地面には不可思議な紋様が描かれていて、彼の体にも描かれていた。衣服は全て脱がされており、股間は白い布一枚で隠されている。

 彼の目が覚めたことを知ると五人の黒装束が歓声を洩らした。

「蘇生した」

「これで真祖を滅ぼすことができる」

「我々が正しいのだ」

 おかしな連中だ。カルト集団か?大体何故こんな場所にいるのだ。蝋燭の炎でようやく自分と連中が見える程度の照明であるこの空間は何だ。肌寒いわけではないが気温は高くない。

 暗闇に目が慣れ始めた頃、彼は目を見開いた。

 自分の体に走る線。ツギハギだらけの自分の体。何かの手術を行った後のような縫った痕。両肩、両肘、右首の根元から左胸を通って肋骨の辺り、腹に丸く、右足股関節、両足首。この縫った痕は何だ。一体、どうした。

 頭痛がした。思い出すな。思い出すなと言っているように頭の奥が痛む。痛みを覚えることで何かから守っているような。

「く、お前らは何だ。俺をどうしやがった」

 せいぜい睨みつけて、彼はまた頭痛に声を上げた。五人の黒装束たちは立ち上がって彼を凝視した。

「まさか記憶を失っているのではあるまい」

「馬鹿な。脳はきちんと本人のものだぞ。呪術が何か作用したのか?」

「失敗ということか?」

「いや、一時的なものではないか。大幅に肉体を改編したのだ、少しくらいは混乱するだろう」

「往間四郎。我らを訝しむ必要はない」

「オーマ・シロー?俺の名前か」

 程なく頭痛。目を閉じると、何かが蘇ってくる。思い出してはいけない、自分のことが。

「お前は一度死んでいる。己の力を制御できずにな」

「その四肢は千切れ飛び、原型はほとんど残っていなかった」

「仕方なく我らはお前の体型に似通った者たちの体の一部を使用することにした」

「その腕や足はもちろん、臓物までもが別のものだ」

「ただ、脳は本人のものだがな」

 誰か一人が喋り出すと他の四人も呼応して喋り出す。そのような重大なことをかさに掛かって言われると反論や質問のしようがない。とりあえず彼は自分の名前が本物であるのかを問うた。

「往間四郎ってのが俺の名前か」

「お前はそう名乗っていた」

 黒装束が呼応する前に質問していくしかない。四郎は思いつく限りを質問した。

「お前たちとはどういう関係があるんだ?」

「お前は念動力者で、我らは魔術師だ。ある目的のために協力関係にあった」

「ある目的って何だよ」

 黒装束は吐息を地面に向けた。

「そんなことも忘れているのか」

「いよいよ失敗か?」

「他の念動力者を探したほうが……」

「あー、質問に答えてからくっちゃべってくれ」

 魔術師はこれだからいけない。論理的に話を進めることはできても少しでも疑問点や理解不能なことが出てくると自分の世界に入っていってしまう。

 待て。魔術師?何故自分は知っている風に思考を進めた?本当にこいつらは知り合いだとでも言うのか。

 どうやら思い出しそうだ。

「で、何だよ目的って」

 黒装束たちは顔を見合わせた後、二言三言の会話を囁き合って四郎に答えた。

「真祖を滅ぼすためだ」

「真祖?」

 四郎はオウム返しに訊いた。聞いたことのない言葉だ。どこかの家名だろうか。……

 

 ずきり

 

 頭痛がした。嘘だ。知っている。その言葉を知っている。真祖。世界の触覚たる精霊。吸血鬼の真の祖。

 彼らが吸血衝動を持ってしまったおかげで死徒などというおぞましいモノが誕生してしまった。そして彼らによって多くの人々が死に、彼らの道楽となっていった。

この黒装束たちはその生き残りのはずだ。確か村を丸ごと焼かれたか、もしくは親族を無惨に殺されたかしている。真祖が死徒を生み出さなければ。支配下に置いていればあのようなことにはならなかったかもしれない。四郎自身もまた、その場に居合わせている。

あれはどこかの村だった。自分の特異な能力が少しずつ周囲の人間に感付かれ始め、居場所を失って世界を放浪していたとき。一つの小さな村に辿り着いた。そこはとてものどかで、静かで、人々の関わりというものが確かに根付いている温かい場所だった。

 けれど。そこは死徒によって滅ぼされた。村の人々は例外はあるもののほとんどが血を吸われ、その肉を引き裂かれて土に還ってしまっている。黒装束の魔術師一人か二人はその例外であった。

 村の建物はその形を留めていた。留めていないのは人間だけで、有機物というものが欠落していたようだった。

魔術師二人が都会への外出から帰ってきて愕然とした。自分たちの家はどうした。平穏に研究に打ち込めるただ一つの場所が、無い。この精神を蝕んでいくような血の臭いと真っ赤な視界。ほとんどのことには動じない魔術師が、この光景にはさすがに辟易して辺りをしきりに見渡していた。

 どこにも生存者などいない。人が生活していた温かさとか、息遣いとか、そんなものが欠落している。確かに形は村であるのに。呼んでも当然返事は無い。

 彼らは村を捜索した。どの家にもあるのは血と肉。人間の形をしたものはない。やがて村の中心部に、ふらふらと歩いている人間を発見した。魔術師は駆け寄って声を掛けた。その人間はふっと安堵したような笑みを返して。

 ぼろり、と。ソレは崩れ落ちた。精神力でやっと繋ぎとめていた自分の体が、人間に出会えた気の緩みで容易く崩れてしまった。

「それが、俺だったか」

 四郎は独り言のように言った。一度死んでいる、という魔術師の言葉は本当だ。自分でも鮮明に覚えている。

 死徒の、人外の化け物の力は強大だった。念動力を有していた自分でさえ、念じる前に不意を突かれた形で肉片にされた。あとは、自分の体が崩れないように繋ぎとめるためだけに念動力という力を使役していただけだ。

「そのあと蘇生させられて死徒を生み出した真祖を滅ぼすために協定を組んだんだな」

 彼らは直接村を滅ぼした死徒ではなく、その死徒を生み出した真祖を憎んだ。元を正せば死徒というモノを生み出したのは真祖なのだ。彼らさえいなければ、あのような惨事は起きなかったし、今までの吸血鬼による殺人なども起こりはしなかった。彼らが悪いのだ。彼らこそが絶対悪なのだ。

 そういった多少歪んだ思いが魔術師と四郎の心を満たしたのはそう昔のことではない。

「……で、行動の限界が来て、また蘇生させ直したと」

「そうだ。お前の肉体は他者から奪ったものだからな。お前自身の魂の器には相応しくない」

 肉体は魂と共に組成され、成長していく。だから四郎の魂の器としては他者の肉体の断片をかき集めて急造的に造られた「ブレンド物」では定着しないのである。

 それでも何とか一年ほど行動することができていたのは単なる偶然に過ぎない。奪った肉体が彼の元の体と酷似していたからだ。だが、騙し騙し一年が経過すると魂の成長に肉体がついて行かず、悲鳴を上げた。元々四郎の体ではないので成長の度合いは異なる。だから魂の居心地が悪くなったのだ。

 驚いた。体の縫った場所から血が流れ、やがて激痛と共に体が文字通り引き剥がされていく。魂がこの体は違うと。偽物だと言っている、自己主張のようなものだ。それを精神力では支えきれなかった。本来ならば力を加えるだけの念動力を自身の体を繋ぐために使うのは精神力を大きく消費した。前回、死徒にやられたときとは違い、今度は魂が拒否しているので彼だけの精神力では不可能であったのだ。

 やがて体は崩れ落ち、最初の状態に戻った。魔術師たちは仕方なくもう一度魂を定着させるべく儀式を行った。それが、今である。予定通りに蘇生し、記憶も失ってはいない。

「そういえば、死者を蘇らせるのは魔法の類だと思っていたけどな」

「その通りだ。お前は正確に言えばまだ死んではいないのだ。お前の魂はいささか特殊でな、肉体にさえ定着させれば勝手にその肉体を器として改編してしまう。だから継ぎ接ぎの肉体でも活動していられた。だがそれにも限界はある。その肉体の成長は魂の成長に準じない。元々別の人間のものだからな。いかにお前の魂が改編しようとも元々の成長速度、そして肉体自体にある『魂の記憶』によってお前の魂の改編を歪ませている」

「じゃあ、これからずっと呪術とやらで定着させ直さなきゃならないのか」

 それだけではない。一度使った肉体は二度とは使えないのでまた死体をかき集めなければならない。しかも死んだ直後の新鮮なものでなければ、だ。生命活動を終えた時点で細胞はすぐに死滅していく。それが進んでいってしまうと魂で器として改編しても使えるものではなくなってしまう。その死体を、一体どこから調達するのか。

「安心するがよい。それについては策を講じてある」

「自信ありそうだが、面倒なことは御免だぞ」

「大丈夫だ。今の呪術と一緒に魔術回路を通しておいた」

「魔術……回路だと?」

 魔術回路。魔術師が魔術を行使する際に必要な魔力を通す神経。一般人にも持っている者は少なくないが扱い方を教わらなければ生涯、眠ったままの秘伝の神経。

 それを通しただと?後付けでか。確か魔術回路は後付けでは正常に機能しないと聞いている。無論、それは四郎の勝手な推測に過ぎないが、それに近いことにはなる。本来持ちえていないはずの魔術回路を無理やりに通せば、それは人体に異物を混入していることになる。そうなれば拒否反応を起こすのは当然のことで、どんな弊害が起こるのかは容易に推測できない。もしかすると四肢がばらばらになってしまうかもしれないし、細胞が破壊されていくのかもしれない。現時点ではその拒否反応は現れていないが、この先はどうかわかったものではない。

「心配するな。その回路は比較的弱いものでな。全身に張り巡らされているが魔術回路としての機能はほとんど持つまいよ」

 では何故通したのか。

「大事なのは魔力を全身に行き渡らせることだ。魔力は魂から生まれ出でるモノ。魂の力だ。お前の魂は特殊だと話したな?その特殊性を全身に行き渡らせ、元々別の者の肉体であるその体を定着させる助けとする」

 つまりは、今までは魂の座が体の中心部分に位置していたのならば四郎の魂の「どのような肉体でも我が物にする特殊性」は四肢にまで行き渡っていなかったのに対し、魔術回路を通したことによってそれぞれに一本筋が通り、魂の力、魔力と共に特殊性も行き渡らせることができる。そうすることで、魂の記憶や成長速度を四郎の魂のそれに強制的に準ずることにしている。

 だがこれには大きな欠陥がある。元々持ちえていなかった魔術回路を通したことにより、四郎には大きな変化が見られるのだ。

 

 

 その変化は、一つの死者を斃すときに公にされた。

「……何だ、これは」

 声を洩らしたのは四郎本人だ。念じるだけで万物に影響を与えるはずの念動力は、使い物にならなくなっていた。というのは、念じれば発動はする。だがそれがひどく歪で、糸状になってしまっているということ。

 何を浮かせるにも思念波という「糸」が彼の手から発射され、それが作用させる。つまり。

 

 見ただけでは捻じ曲げたり叩き折ったりすることができなくなっているのだ。

 

 それを知った魔術師たちは落胆した。何ということだ。それではあまりにも意味が無い。念動力とは念じるだけで効果を及ぼすからこそ利用価値が生まれる。それは空間そのものに影響を与えているということに他ならない。だがその念が「糸」と化してしまっては空間を捻じ曲げることはできない。念じるというだけで力を発動させることはもちろん可能だろう。だが糸である以上、方向性を示す「見る」という動作と「腕を振るう」という動作が必要になってくるのだ。念の糸が飛び出るのは体の末端である頭部、両手の指先、脚部の指先。それらに方向性を持たせてやらなければ念の糸は思い通りにならない。

 しかもこれが一番の欠点であるのだが、「念が到達する時間差」である。通常の、四郎の今までの念動力では念じただけで瞬間に効果を及ぼすことが可能だったことに対し、現在の四郎の力は糸となっているため、念じた瞬間と念が到達するのに多少の時間差ができる。念が四郎から発せられる以上、糸は四郎に繋がっているのである。

 その事実を知った魔術師たちは四郎を使用不能と断定した。彼との協力関係もこれで終わり。四郎が類稀な「正当なる」念動力者であったからこその協力関係だ、欠陥品に用は無い。

 彼らは四郎を処分することに決めた。彼が寝ているところを、闇討ちという形で。だが。

 魔術師たちは次の瞬間には肢体を切り刻まれていた。自分が欠陥を持ったことに気付けば後々の災いを断たんとばかりに封じに来るだろうことは容易に想像できた。だからこそ彼は寝ている振りをしてその実、あちこちに念という糸をばら撒いていたのだ。

 当然、念というのは眼に見えるものではない。魔術師たちは見えざる念の糸鋸によって切り刻まれた。

 糸に変化したからといって念自体に変化があるわけではない。ただ在りようがかわっただけで、物質に干渉する能力は持ち合わせている。しかも糸という線状になったことにより、切断するという一点においては真っ当な念動力よりも格段に性能がよくなっているのだ。

 後は両手を軽く握るだけで、ばら撒いた糸が集束していき、彼らの体を膾のごとく解体する。

 それで、終わり。

「それで、終わり……」

 一言だけ呟いた彼を唯一知る魔術師たちが消えたことで、彼の行方を知る者はいなくなった。

 

 

                         うまれたとき、了